第7回|フィリピンへ渡比し約29年、現地で会社経営をする鮎澤さんにインタビュー
フィリピンで暮らす日本人の皆さんに「フィリピンへ移住したきっかけ」や「現地での仕事、ビジネス・生活事情」などをインタビューし、フィリピン移住の魅力や生活する上での厳しさ、メリット、デメリットなど、移住者の皆様にご協力いただきリアルな実体験をお届けする大好評の「移住者に聞くフィリピン海外生活」。
現在コロナ禍で自由に行き来することは難しい状況ですが、それでもフィリピンで新しく事業を立ち上げられる方・移住を検討されている方も少なくありません。
今回で第7回目を迎え、前回インタビューさせていただいた「田部井さん」より移住の輪のバトンを繋いでいただき
マニラ首都圏(ラスピニャス)で会社を経営されている「鮎澤 優さん」にインタビューさせていただきました。
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20代の頃、青年海外協力隊(JOCV/JICA)としてアフリカ・エチオピアで3年間井戸水の供給や排水処理の設備を作る仕事に携わり、もっと途上国の人たちとかかわりたいと思うようになりました。日本帰国後は「水のコンサルタント」の会社に勤め、しばらくして海外部に移籍。
1989年頃にJICAのODAで初めてフィリピンを訪れ、飲料水供給の設計監理に従事しました。
パナイ島やルソン島北部で衛生的な井戸や小学校のトイレを作る為に、丸2年間フィリピンに出張していました。
その時、フィリピンの人たちと仕事がしたい、自分を試したいという思いで、1992年に単身で再度フィリピンを訪れました。当時は電気不足で、マカティは毎日計画停電を行っていました。その周辺のエリアもずっと停電していた記憶があります。
当時は先の事を考えず、人のためになることをしたい!という思いで生きている自分がいました。
私がアフリカにいたときは飢餓が一番ひどい時期だったと思います。
その生活を経験していたので、フィリピンの生活で不便を感じることは少なかったです。
フィリピンは田舎に行っても美味しい食べ物やコカ・コーラもありましたし「いいところ」というイメージしかありませんでしたよ。
当時は、お金を儲ける気持ちもなく、ただ人の為になることをしたい。自分を鍛える、自分に負荷をかける、先を考えずに生きる自分がいましたね。
フィリピンで就活、日系企業へ就職。そしてフィリピンで起業。
フィリピンに来てからは、色んな会社に出向いて自力で仕事を探しました。
当時は積極的な日本人の採用がない中、ある会社の社長がたまたま協力隊のOBの方で、私を雇ってくれることになりました。
その後、日系企業で勤めていた時に、渡比後ご縁を頂いた同郷の師から「フィリピンで一緒に会社を⽴ち上げる人を探している友人がいるので、私を紹介したい」と誘っていただきました。
起業するご縁をいただき、1996年に勤めていた日系企業を退職。すぐにパートナーと共同出資で起業することになりました。
今年25年目となる「NCEP(公害防止エンジニアリング)」を設立
最初に起業したフィリピンでの会社は、今年 25 年目になる「NCEP(公害防⽌エンジニアリング)」です。
主に企業、工場向けに水をきれいに処理する設備を提供。公害防⽌の排⽔処理の設計施⼯、維持管理などを⾏う会社になります。これはフィリピンの河川や海洋へ放流する⽔をきれいにし、水環境保全の為の設備を製作する会社です。
2016年に環境省の水質基準が設定されましたが、この基準を批准できずボラカイ島がクローズされてしまいました。ボホールも一時的にビーチがクローズされました。
2021年6月に多少基準が緩和されましたが、それでも厳しい排水規制値になっています。
ほとんどの大きなホテルはきちんとした設備を持っていると思いますが、維持管理ができていないケースがあるかもしれませんね。
フィリピンにも同じような会社は沢山あります。私たちの会社は、見積もりで負けることもありますが、安いところはお客様の希望通りにならない会社もあるようです。
2001年新たに建設業「GA Environmental Construction Corp.」を設立
最初の会社を起業して2~3年は日系企業の進出が多い時期でしばらく仕事がありましたが、日系企業の進出が減少するのをきっかけに2001年新たに建設業を起業しました。
一社目の水処理事業だけではなく、二社目の会社で建築・土木関係でお客様の工場の営繕、設備の設置工事なども行っています。
ボホール新空港の送迎の看板は、私の会社が製作しました。
同時にボホールに小さな事務所を作っていたのですが、コロナの影響でストップしてしまいました。
工事は一旦終わりましたが、フィリピン人スタッフがまだ残工事をやっています。コロナの影響が出る前は、月に一回位のペースでボホールを訪れていました。ボホールはとても素敵なところです。
今はマニラ近辺の仕事がメインになりますが、昨年のロックダウン前はミンダナオ島のカガヤンデオロでも仕事をさせてもらいました。
時々仕事でセブに行くこともあります。
今、動いている会社は二つです。
失敗はチャンスだと思います。
上手くいかない時は、何かが不足しているんです。そこを補って諦めずにやって行けば続けられるんだと思います。
私は常にそう思うようにしています。
「仕事」というのは、面白いと思います。
仕事は、自分自身に対する負荷になるけど、内面を成長させてくれるんです。
失敗しても自分が知らないから失敗しているだけで、そこを補うことを学べばいいんです。
そのうえでお客様が必要としてることは何なのかを考え、人によかれという心を忘れずに動いているとお客さんが答えをくれるんです。怒りながらも答えやヒントを教えてくれるんです。
それを素直に受け止めて再度やり直す。根気と諦めない精神ですね。
私は「お金を求めているとお金は逃げて行く。人によかれと思ってやっていれば、お金は後からついてくる」という考えです。
コロナ渦での現状
現在はコロナの影響で大変厳しい状況ですが、私の場合、コロナ禍で逆に仕事をいただける方に転びました。
コロナ禍の最初のロックダウンの時、本当にダメかと思いましたよ。ギブアップ寸前でした。
お客様も大変な時期なので、あちこち声をかけられない状況でしたが、ありがたいことにコロナの中でも、仕事をいただきいつも現場に出ていました。
これは神様がくれたチャンスだと思いましたね。
なんとか「お客様が良い方向になるように」という思いで「安価でいいから」と仕事を受けさせていただきました。
今後も事業を継続できるかはわからないですね…。運だったり人との縁もあるので。
いつも不思議に思っているのですが、毎年1月にその年の事業計画を立てても、必ず計画通りにはいきません。
だけどコツコツやっていて仕事が薄くなると、なぜか仕事が入って来るんですよ。
まさに「人によかれ」です。人の為にやってると人が人を呼んで仕事に繋がるんですよね。
フィリピン人に対しても同じです。
従業員を叱ることもありますが、彼らがいないと「自分の仕事が出来なくなる」という気持ちを常に持っています。なので従業員には感謝しています。
計画通りにいかないフィリピンだからこそ、逆に自分自身が変化した。
渡比当時も今もフィリピン人の性格や考え方について、私の感覚的にはあまり変化はないと思います。日本とは文化が違いますからね。
反対に自分自身を変えてきましたね。多くの方が感じることかもしれませんが、忍耐力は確実につきましたよ。
フィリピンでは計画しても計画通りにいかないことが多く、ベトナムやマレーシア、タイなどと全く異なると思います。
場合によっては「わからない」と言われ、最後はケセラセラになっちゃうことも多いです。(笑)
フィリピンの負の面をあげると、人にもよりますが「すぐに人のせいにする、物が壊れてもほっとく(責任回避)」。
これをほっといてはいけないと思い、私は彼らに指摘するようにしています。
フィリピンで生活する上で大事なこと、フィリピンが好きという原点(初心)に帰る事
この国は特に健康が大事だと思っています。私は年に4回の血液検査で一応注意はしています。自分でしっかりと健康管理しないといけませんからね。
休みの日も健康に気を使い、水泳などの運動もやっています。毎日少しだけでも運動するように心がけていますよ。
孝経に「身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。」(両親からいただいた命をケガもせず病気もせず全うする事が親孝行の始めである。)とあるように、両親から頂いた命を大事に健康管理には留意しています。
フィリピンは、日本と比較すると電気代、水道代が高いですね。
今回のコロナで沢山の日本人が帰国されたと思います。寂しい気もしますが、フィリピンでも頑張ってやって行けば必ず光が見えてくると思っています。
長くいると忘れちゃう方もいますが、やはり「フィリピンが好き」というのが原点なんですよね。
色んな事が起きたりしますが、初心に帰るというのは大事ですね。
賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。
別に偉い人になる必要はないではないか。社会のどこにあってもその立場立場において、なくてはならぬ人になる。
その仕事を通じて世のため人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない。
私はこの言葉を「生き方の指針」として心に留めています。
日本人として、フィリピンに住んでフィリピン人の為になる。
一日本人としてフィリピンで出来ることをやって、フィリピン人自らの生活を向上してもらいたい。
安岡先生の教えから学んでいます。
起業というのは、大企業でも中小企業でも零細企業でも人を雇う。たとえ一人でもいいんです。雇用を作る。だから起業は意味のある大事なことなんですね。後は人の役に立つという事ですね。
コロナ収束後は、ボホールでも事業展開予定です。
会社は私が作るから、フィリピン人には自分たちで稼いでもらいたいと思っています。
今後も常に起業のことを考えながら、やって行くと思いますね。
IT関連や日本の商品をフィリピンで購入できる代行会社などにも興味がありますね。
志をしっかりして諦めない。
「順境良し、逆境さらに良し。」逆境の時がチャンスなんです。
逆境は自分自身のせい。それを反省することで成長する。
するとまた必ず逆境が来る。逆境は伸びしろ。人生は常に勉強です。
逆境は、自分自身に対して天が教えてくれる気付きだと思います。
乗り越えられない逆境を天は与えません。乗り越えさせるために天から与えられている逆境なんです。
時にはフィリピン人に意見を聞きながら、反省していじけずにコツコツと。
人は変えられないから、自分を変える。
これの繰り返しだと思います。
私は成功はないと思っています。
仕事があるのは、天が失敗も含め、人間としての内面を成長させるために与えてくれている機会だと思っています。
日本人としてフィリピン人の為に。
私たちは外国にいて、その場では日本の代表のひとりなんです。
フィリピン人と一緒にいる限りは、日本人として人の役に立つ自分づくりを心がけています。
コロナ前の日曜日は、朝7時に2,000メートル泳ぐことから始まり、家族と教会へ行くのが休日の過ごし方です。その後みんなでランチを食べ午後からはそれぞれ好きな事をやってました。他には、失敗が多く課題は沢山ありますが、家庭菜園で野菜育ての勉強をしています。
日本には兄弟がいますので、コロナの前は、年に一度は家族と日本に行っていました。
最後は2019年の年末に家族で行きましたね。
こうして日本人の方たちと、オンラインでつながる機会が増えましたね。
今まではありませんでしたね。私は、大学と大学院を通信でやっていたので、それ以来ですね。
仕事の打ち合わせもウェブが多くなりました。
社員も事務所に来れないので、事務仕事をひとりでやる事が多くなりました。
最初のスタートに戻ってる感じもしますね。
スタートに戻るとまた必要なものが何なのかが見えてくる事があります。
今まで無駄だった事も見えてくることもあり、色々と変えていけるチャンスだと感じることもありますよ。
出会い、ご縁を頂いている方々に感謝し、謙虚にコツコツと一日一日を一所懸命に「人の役に立つ自分造り」を歩み続けて行く所存です。
フィリピンでの起業にご興味がある方、ご連絡を頂ければご対応させて頂きます。
鮎澤さんのプロフィール
・群馬県出身
・事業経営者
・フィリピン群馬会代表幹事(県公認県人会)
・フィリピン日本人商工会議所会員
・A member of Philippines-Japan Society Inc.
・一般財団法人フィリピン協会会員
・在比JOCV OB会幹事
29年前にフィリピンへ単身で渡り、自力で仕事を探し、そして今では2つの会社を経営され、コロナ渦の中さらに突き進む行動力と冒険心は29年前と変わることなく挑戦し続ける鮎澤さん!記事を書き終え改めて読み直すと本当に心にしみるお言葉ばかりで、「逆境は、自分自身に対して天が教えてくれる気付き、乗り越えられない逆境を天は与えません」と語って下さったこの言葉を忘れず、生きていかねばと心の励みになりました。これから日本を飛び出して海外移住を検討されている方、そして起業される方々にもとても参考になるかと思います。またフィリピンにて排水処理・環境設備の設計・施工・メンテナンスなどの業務でお困りの方・企業様がいらっしゃいましたら、是非鮎澤さんにご相談ください。鮎澤さんへのお問合せはこちらのリンクをクリック